今年になってから、どっぷりと大河ドラマ「光る君へ」にはまっている。
大河ドラマ自体を自分から見るようになったのは「独眼竜正宗」からだったが、ずっと、いつか平安中期、藤原道長で大河ドラマをしてくれないかな、と思っていた。
しかし、期待しても、毎年、外れるばかり。それどころか、戦国・幕末のローテーションになるは、出来は悪い作品は続くはで、次第に、次の大河ドラマの発表に期待しなくなっていった。
そんな矢先、2022年5月、再来年の大河ドラマは紫式部で「光る君へ」と聞いたときの喜びはどんなに大きかったことか。今までの不満が吹っ飛んだといってよい。
その後、2021年11月に藤原道長役で柄本佑史が発表、さらに2023年2月以降になると、その他のキャストが続々と発表になっていったが、毎回、それをネットで確認しては、期待を膨らませてきた。
ところで先日、鈴木嘉一『大河ドラマの50年』(2011年5月:中央公論新社)という本を改めて読んだ。この本が出されたころは、自分にとってはちょうど大河ドラマの暗黒時代にあたる。
本書は歴代の大河ドラマについて順番に紹介していったもの。その最後の第12章「大河ドラマの現在」では、今後の大河ドラマについて語る関係者たちの言葉が語られている。もう10年以上も前の本になるが、当時の雰囲気をよく伝えており、そのコメントは今も読む価値があるので、分量は多いが、ここに引用・紹介しておく。
まずは第一作『花の生涯』をはじめ『徳川家康』など数々の主要な作品に関わってきた大原誠氏は、大河ドラマの描き方として、お馴染みの人物を正面から描く「直球」と、知名度の低い人物から描く「変化球」の二つの描き方があると述べている。そして(2011年当時から見て)「ここ数年」は「三番目か四番目の曲がり角にさしかかっている」と語っている。その打開策として一つは「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康」あるいは「忠臣蔵」を10年周期で主役にすることを、そしてもう一つは、今まで取り上げなかった時代に挑戦することを提案している。
大河ドラマで最も古い時代は『風と雲と虹と』の平安中期で、飛鳥時代から奈良時 代、平安中期まではまだ一度も扱っていない。また「時代劇だけにとらわれず、「近代大河」路線でチャレンジしたように、望地度現代史に取り組んでほしい。今や戦中・戦後も歴史になっている。日本がなぜ日中戦争、太平洋戦争に突入したのか、じっくり腰を据えて描いてほしいと期待する。
『国盗り物語』のプロデューサーを務めた遠藤利男は次のように語っている。
「素材の幅を戦略的に広げることが大事です。壬申の乱を中心にした古代史は、以前から何度も検討されてきた。遠い昔の話を一年間どう描くか、衣装や鎧兜が何度も使える戦国時代と違って、衣装の新調やセットなどでお金がかかることを考えると、なかなか踏み切れなかった。平安朝を代表する藤原道長時代も空白になっている。原作となるいい小説があれば、いつかは小牛田時代に取り組んでもいいと思う。新たなトライをするにあたって成否を決めるのは、源田久我あろうがなかろうが、脚本家の力量が大きい。大河ドラマを書けるような優れた脚本家を見出し、育てていく子も大切ですよ」と力説する。
元フジテレビゼネラルプロデューサーの能村庸一は『草燃える』や『独眼竜政宗』を高く評価する一方、『利家とまつ」以降の傾向に不満を抱いている。
「正統派の作り方だけでは限界があり、女性や若い世代にも見てもらうため、ホームドラマ調も取り入れざるを得ない事情はよくわかる。しかし、ヒロインはいつも平和主義という描き方は嘘っぽい。大河ドラマは「歴史から学ぶ」というコンセプトを背負っているので、風格のある歴史ドラマであってほしい。今でも多くの話題を発信する大河ドラマは、テレビ全体の大事な柱なんですから」とエールを送る。
『北条時宗』の制作デスク、ドラマ番組部長の山本秀人はこのように語っている。
「日本の各時代を満遍なく取り上げればいいのかもしれないが、人気のある時代は偏っている。戦国時代はやはり、現代にも通じる劇的な要素が詰まっている。題材の多様性を保つという意味から、戦国では中央の覇者だけではなく、地方に目を向けて、前田利家、直江兼続といったような空間的な幅を広げてきた。空白期と言えば、室町期では足利義満の時代が挙げられる。平安時代では、藤原道長や菅原道真の時代です。視聴者にとってなじみが薄い時代や知名度の低い人物を取り上げると、著中で物語についていけず、離れる視聴者が出る恐れがある。しかし、時間的な幅も広げる努力をしなければいけない。埋もれているヒーローは必ずいます」と言う。
この本は歴代の大河ドラマの制作の経緯を振り返ったものであり、記述は客観的を心掛け、各作品の優劣については論じないように努めている。この一連の文章も表現は抑えてはいるが、彼らが共通して当時の大河ドラマの在り方については不満を持っていることは分かる。戦国と幕末を繰り返し、放送中の「江~姫たちの戦国」は、「スイーツ大河」と揶揄されていた時期でもある。ただ、彼らが憂えている状況はすぐには改まらなかった。
ここで、21世紀あたりからの大河ドラマを振り返ってみる。
1998年「徳川慶喜」=幕末
1999年「元禄繚乱」=江戸中期
2000年「葵~徳川三代」=江戸初期
2002年「利家とまつ」=戦国
2003年「武蔵MUSASI」=江戸初期
2004年「新選組!」=幕末
2005年「義経」=平安末期
2006年「功名が辻」=戦国
2007年「風林火山」=戦国
2008年「篤姫」=幕末
2009年「天地人」=戦国
2010年「龍馬伝」=幕末
2011年「江~姫たちの戦国」=戦国
2012年「平清盛」=平安末期
2013年「八重の桜」=幕末~明治
2014年「軍師官兵衛」=戦国
2015年「花燃ゆ」=幕末
2016年「真田丸」=戦国
2017年「女城主・直虎」=戦国
2018年「西郷どん」=幕末
2019年「いだてん」=明治~昭和
2020年「麒麟が来る」=戦国
2021年「青天を衝け」=幕末~明治
2022年「鎌倉殿の13人」=平安末~鎌倉
2023年「どうする家康」=戦国
個々の作品の評価は別として、ほぼ戦国と幕末のループといってよい。どの作品の信長が誰だったか、木戸孝允は誰だったか、私などは、ごちゃ混ぜになっている。この頃の歴史漫画も、扱われる人物は戦国か幕末ばかりだった。さらに、2007年から2015年あたりは、女性向けと男性向けの交互にもなっている。
こういう状況がもう15年以上も続いたわけだから、この分だと2024年はまた幕末でしょうと確信して、大して期待もかけていなかった。そんな矢先に発表されたのが「光る君へ」で平安中期ときたのだから、どんなに驚くべきことかと分かっていただけるだろう。
ただ、発表当時の反応は、あまり芳しくないものが多かったようだ。「合戦がない」「女が主人公だからスイーツ大河になる」「貴族がいちゃついているだけ」「色恋の源氏物語を扱うのか」といったものが主だった。「菅原道真は出るのか」という、頓珍漢なものも見かけた。
ただ、私は、脚本家の大石静氏の「セックス&バイオレンス」という言葉を聞いて、これは分かっているな、と確信した。繁田信一氏の「殴りあう貴族たち」に詳しいが、平安貴族が軟弱だというのは後の世の勝手なイメージで、説話などを読んでいても、実際の貴族はしたたかで荒々しい。永井路子氏の『この世をば』によれば、藤原兼家は毎朝、キジの生血を飲んでいたという。何よりも、合戦シーンと三英傑を出しておけばいいというような雰囲気には、辟易していたところだったので、「ついに来たか!」と密かに胸熱くしていたのである。